動物実験は動物に苦痛を与え犠牲にするという印象が強いことから、一般市民に悪いイメージを持たれる。このことは動物実験に関わる者としては避けて通れない。しかしその一方で、一般市民は動物実験の必要性について一定の理解を示しているのも事実である。より実験動物福祉に配慮した動物実験の実施、社会から信頼される体制の構築、適切な情報発信に取り組み、一般市民に正しく動物実験を理解してもらうことは動物実験の専門家が向き合い続けなければならない課題であろう。
私が所属している倉敷芸術科学大学生命科学部動物生命科学科(以下、本学科)は平成19年度に(公社)日本実験動物協会より受験資格認定大学(以下、認定校)として認定を受けた。実験動物学と動物看護学を本学科では教育の2本柱としているが、ほとんどの学生が動物医療分野について学ぶことを希望して入学してくる。この学生達は家庭内で共に暮らす動物をペットではなく伴侶動物とする時代の中で育ってきた世代である。入学してすぐの学生達が動物実験に対し批判的な意見を持っていることは1期生が入学してきた13年前と変わっていない。この度実施された動物実験に関する市民意識調査の結果と本学科に入学してすぐの学生達が動物実験に対して持つイメージや意見は共通する部分が非常に多かった。しかし大学教育の中で学生達の動物実験に対する理解は大きく変化する。特に最初の1年間での理解の変化は非常に大きなものである。さらに近年動物医療分野に就職を希望する学生でも、実験動物分野の専門科目を積極的に履修する学生が増えた。このことは動物実験に批判的なイメージや意見を持っていたとしても、適切な情報の発信が一般市民の正しい動物実験の理解へと繋がることを意味しているのではないだろうか。しかし動物愛護を強く意識する動物観を持つ学生達に「私達が健康に安全に生活していくために動物実験は必要」という説明で理解させるのも困難である。人と動物の関係は多面的であるにも関わらず、日常生活の中で自身の動物観を意識するのは難しい。本シンポジウム演者の打越綾子先生が「仕切られた動物観」という概念を著書「日本の動物政策」にて提示されているが、まさにこの仕切られた動物観について考えるところから動物の命の利用や犠牲に対する責任への理解が始まる。本学科の学生達への教育を通じて感じたことは、一般市民の正しい動物実験の理解に必要な情報発信において、一般市民のみならず動物実験に関わる我々も仕切られた動物観を意識する必要があるのではないかということである。さらに、専門性の高い内容の理解には多くの時間を要する。どのような情報発信が効果的であるのかについての検討は今後の非常に大きな課題であり、常に実験動物の福祉と向き合い、取り組み続けることが動物実験の専門家としての使命であると考える。