背景:麻酔はサルを用いる実験に必要不可欠な処置である一方で、ある一定のリスクはある。今回、我々は麻酔後、覚醒遅延を認めた後、死亡したサルの死因および、その病理発生機序の解明を目的とし、画像診断学的および病理学的に検索した。
症例:症例はニホンザルの雄、推定5~8歳、体重12.6kg。飼育馴化後、本試験前のチェスト位置確認のために、メデトミジン、ミダゾラムおよびブトファノール(MMB)混合麻酔薬1.08mL投与。約30分後に、適切な麻酔深度に達したとして、位置確認を開始。投与約1.5時間後、確認を終え、アンチセダン0.24mLを投与した。以降、麻酔薬投与後約2~3時間の間に側臥位→仰臥位→伏臥位と自ら姿勢を変更。約4~7時間後、座位、概ね不動。その後、立位するも四肢麻痺を呈し、介助により摂食。その後3日間、多少の改善傾向はあったものの、自力行動できず、介助にて摂食していたが、死亡した。なお、麻酔下で、呼吸停止や異常呼吸などは認められなかったとの稟告がある。
材料と方法:死亡後、CT画像診断、病理解剖および病理組織学的検索を行った。
結果:CT画像診断では、T2強調画像にて、大脳皮質が全体的に高信号を示し、脳溝不明瞭。DWI画像にて、大脳皮質が高信号を示したことから、大脳浮腫、脳圧亢進、低酸素症、急性梗塞などが疑われた。その他、小脳テント切痕ヘルニアおよび小脳ヘルニアを認めた。病理解剖では、脳全体が腫脹し、頭蓋腔からの採出難で、心臓両心房および右心室拡張。肺鬱血および水腫、右中葉/後葉間と左前葉/後葉間の線維素析出・膠着、割面多汁。脾臓の鬱血・腫脹。肝臓および腎臓の鬱血を認めた。病理組織学的検索において、主たる病変として大脳および心臓の虚血性変化があった。大脳では、神経網の水腫により皮質の染色性が淡く、皮質深層(第Ⅴ相)の神経細胞の萎縮、核および細胞質の好酸性化を特徴とする変性・壊死ならびに小膠細胞の増生を認めた。一方、小脳には同様の病変はみられなかった。心臓では、散在性~多巣状性に心筋細胞の壊死およびマクロファージ浸潤が右心室よりも左心室に、そして心外膜側よりも心内膜側に多く観察された。その他、脊髄灰白質における髄鞘拡張および軸索膨化、肺、肝臓など諸臓器に鬱血を認め、肺では高度の水腫を伴っていた。
考察:以上より、大脳皮質壊死および心筋の多発性巣状壊死と診断した。死因は高度循環障害および肺水腫による呼吸不全と判断した。大脳において、神経細胞は、他の中枢神経系構成細胞よりも虚血および低酸素に対する感受性が高く、その変化は神経細胞の①壊死(細胞質・核の好酸性化)、②萎縮や暗調化、③細胞質内水腫(裂劇形成)などが観察される他、星状膠細胞の水腫や皮質領域の水腫を伴う。神経細胞の虚血性変化は、特に海馬CA1領域に生じやすく、第Ⅲおよび第Ⅴ層に認められやすいとされる。虚血性の心筋病変は、左心室および心尖部の心内膜下心筋、特に乳頭筋部に生じやすい。本例に認められた神経細胞の変化と病変分布および心筋病変の分布は、いずれもこれらの虚血性変化と合致していた。今回、用いられたデトミジン、ミダゾラムおよびブトファノールには、それぞれ呼吸抑制、低酸素症、心室細動、心停止のいずれかまたは複数の副作用がある。本例は、覚醒遅延を認めたことから、麻酔~覚醒の間で一時的に呼吸不全に陥っていた可能性が疑われ、これにより大脳皮質壊死および心筋の多発性巣状壊死が生じたと思われた。覚醒後も重度の運動機能不全が続いていたことから、総じて生体恒常性が保たれず、高度循環障害および肺水腫を呈し、死亡したかもしれない。