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本稿ではまず,1940年代に日本研究者・鹿野忠雄が「原ドンソン文化」を当時の台湾の先史文化の一つと定義した理由,そしてベトナム北部の考古文化,すなわちドンソン文化が当時台湾の先史文化の一つとされた理由について考察する。これを通して,筆者は20世紀前半のアジアの歴史的・社会的背景,そしてその後のドンソン文化研究について批判的に論じる。さらに,台湾東部先史時代の三和文化研究を例に挙げ,各地の資料の比較に基づき,三和文化が中国,フィリピン,ベトナムといった外来文化の影響を受けた文化要素と,国内で発展した文化要素の二つの文化要素に分けられることを分析する。最後に,東アジア・東南アジアの視点から台湾先史文化の内的・外的発展に関する諸問題について見解をまとめる。 |