本論文の目的は、ヴァージニア・ウルフの『壁のしみ』(1917年)を、作家自身のパーソナリティだけでなく、その背景との関連で考察することである。後者の例としては、精神分析とポスト印象派の出現、第一次世界大戦(1914-18)の影響が挙げられる。特に、この短編小説のタイトルが何を示唆しているのかについて検討している。
本作品は、心理学的にも美学的にも興味深い点がある。タイトルの「壁のしみ」は、ウルフと同時代のスイス人精神科医であるヘルマン・ロールシャッハのインクブロット・テストとレオナルド・ダ・ヴィンチの絵画理論の両方を想起させる。「インクのしみが何に見えるか」はロールシャッハ以前から注目されていたが、ロールシャッハはインクブロットを用いた体系的なアプローチを開発し、インクブロット・テストを考案した。レオナルド・ダ・ヴィンチもまた、弟子たちに「さまざまなしみやいろいろな石の混入で汚れた壁を眺める場合」をとりあげて彼の絵画論を説明した。興味深いことに、精神科医のジークムント・フロイトがレオナルド・ダ・ヴィンチを分析し、『レオナルド・ダ・ヴィンチの幼年期の思い出』(1910)を発表している。ウルフは、『現代のエッセー』(1925)の中で批評家であり作家でもあるウォルター・ペイターの 『レオナルド・ダ・ヴィンチ』(1869)を高く評価している。ウルフの夫レナードは、1914年にフロイトの『日常生活の精神病理学』の書評を書いているが、ウルフは当時フロイトの著作を読んでいなかったようだ。しかしながら、ウルフは『壁のしみ』を書く以前からフロイトの存在を知っていたと考えられ、「壁のしみ」に関連することが近い時期に生じていることは、注目すべき興味深い偶然の一致である。
さらに重要な点として、最初は「壁のしみ」に見えたものが、最終的には物理的なカタツムリであることが判明することだ。日常生活で見かけるこのありふれた生き物は、本作品の最後に一度だけ登場するが、本作品において重要な役割を果たしている。カタツムリは生物学的には両性具有であり、殻を分泌する生物である。これらの特徴は、ウルフが好んだ「魂」、「創造性」、「平和」、「アンドロジニー」に関連しており、カタツムリは本作品に欠かせない存在として「壁のしみ」についての一連の連想の最後にウルフによって意図的に配置されたのだと考えられる。