よく知られているように、團藤重光は日本の偉大な刑事法学者の1人であり、最高裁判所判事でもあった。彼自身もその著書で述べているように、彼の人間性や法思想は様々な要素から構成されているが、その中でも特に重要なのは、彼が子供時代に影響を受けた人と環境である。本論文は、團藤の人間性と思想が彼の父親と岡山での少年時代の環境から大きな影響を受けていることを検証しようとするものである。
團藤のルーツは備中松山(現在の高梁)にある。彼の祖父である團藤善平は、著名な陽明学者である山田方谷の弟子で、剣の達人でもあった。彼の父である團藤安夫は、正義感の強い検察官であったが、シーメンス事件関連で当時の検事総長であった平沼騏一郎と対立したため検事を辞め、岡山で弁護士になった。岡山で幼少・少年期を過ごした重光は、市井の弁護士として活動する父の態度を通じてその正義感を受け継いだものと推察される。また、彼の回顧録によると、彼の情操も、自然豊かな岡山での少年時代に培われたとされている。
後に、彼が最高裁判所判事として大阪空港事件に関わったとき、彼は原告の住民たちに同情を示し、この裁判での政治的な介入に憤りを示した。この事実は、彼の人間性を作っている彼の情操や正義感が彼の父親や少年時代の岡山の環境から大きな影響を受けているということを示しているように思われる。